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失敗は挑戦の証 Episode 3

目の前の当たり前は、先人たちの挑戦の歴史。

岐阜工場
鉱山課長

木下 英俊

1991年入社。当初配属された鉱山から5回の転勤を経るも、常に資源領域に関わってきたこの道のプロフェッショナル。現在の岐阜工場鉱山課に配属されてから、鉱山課長として鉱山・工場それぞれの業務最適化に努めている。

「やってみろ」任されたのは、日本初のプロジェクト

 今までの仕事の中で一番印象に残っているのは、爆薬を生産する工場を自社内に設立するプロジェクトの責任者に抜擢された時のことです。鉱山では「発破」といって、岩を崩すために火薬を使用します。当時はその火薬を火薬製造メ-カ-から購入するのが普通でしたが、自社で作ることができれば大幅なコストダウンとなります。
抜擢されたものの、私自身、火薬製造の知識なんて無いに等しいという状態で、しかも日本で初めてのことですから、誰かに教えてもらいたくても経験者は一人もいませんでした。それでも「海外でできることが、日本でできないはずはない」という強い意志のもと、まずは専門的な法律を勉強。そして、プロジェクトの協力会社の方々に技術指導を仰ぎながら2年という月日をかけてようやく設立までたどりつくことができました。今思えば、あんなに分からないことだらけで、よくやったなと思いますが、分からないからからこそ、がむしゃらに走りきれたのだと思います。

上司からもらった「何をやってもいい」という言葉

 私たちが働いている意味は、現状の「当たり前」をより良くすることにあると思います。そしてそのことに、ベテランと新人の差は全くありません。新人から良い改善の提案があれば、すぐに実行に移しますし、新しい視点からの提案を積極的に出して欲しいと考えています。
私が入社したての頃も、上司にこんなことを言われました。「何をやってもいいよ。お前の失敗で、会社は潰れないから。」新人の自分にそんな言葉をかけてくれることに驚きましたが、今思えば「気にせずに、思い切りやれよ。」という上司からのエールだったんでしょう。おかげで、今日までずっとその気持ちで仕事を続けてこられました。若い人たちにも同じ気持ちで、どんどん挑戦をしていってもらいたいと思います。

そして、 挑戦は続く。

 こ現在赴任している岐阜鉱山では、自社鉱山の隣で他社が採掘作業をしています。
今、私が取り組んでいるのは、大切な資源である石灰石を互いに効率的に掘り進められるように他社と協働していくというプロジェクトです。
 20年ほど前から始まった取り組みなのですが、「お互いの会社が自社のメリットを享受しながら資源を最大限活用していく」という大きな目的のために、時間をかけて他社と交渉を重ねてきました。今では、他社の担当の方とお酒を酌み交わすこともあるほど、良好な関係を築くことができています。
今後、わたしの次に続く人がこの取り組みを引き継げば、また違った改善点が見えるかもしれません。だから私は、今までの経験を全て部下に伝え、もっともっと良い姿を目指してもらえるようにしなければと思っています。

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