住友大阪セメント HUMAN SITE

挑戦の100年 住友大阪セメント100年の歴史

時代の波を乗り越えた

 住友大阪セメントの歴史は、明治40(1907)年、福島県石城郡大野町(現いわき市四倉町)で石灰石を利用したセメント事業を起こすため、住友セメントの前身である磐城セメントを岩崎清七らが横浜市に設立したことに遡ります。磐城セメントは明治41(1908)年9月に四倉工業所[昭和58[1983]年閉鎖]を完成させ、セメントの製造を開始しました。[明治41(1908)年12月に本社を東京に移転]。以降、戦前戦後と通じて各地にセメント工場を建設、国内大手メーカーの一角として事業を拡大、また、昭和38 (1963)年に住友グループに参加、住友セメントと社名を変更し、住友グループの一員として伝統ある企業家精神を継承する形で発展してきました。

 一方、大阪セメントは、明治15(1882)年に大阪窯業株式会社が発足し、大正5(1916)年にセメント部が操業を開始。その後、セメント事業の拡大を受けて、大正15(1926)年に大阪窯業セメント株式会社を設立しました。昭和2(1927)年には、日本で初めて早強セメントの製造販売を開始し、昭和36(1961)年に、高知県に高知工場を建設。昭和38(1963)年には社名を大阪セメント株式会社に変更しました。

 そして、平成6(1994)年に住友セメントと大阪セメントが合併し、住友大阪セメントへ。

 ここでご紹介するのは、当社100年の歴史。

 あらゆる局面で屈することなく前進してきた、
創業当初から胸に抱き続ける「挑戦をよし」とするスピリットの歴史です。

歴史・沿革

  • ドイツ人の経営する輸入商社オット・ライメールス商会の幹部で八茎鉱山(福島県)の社長だった広瀬金七と、実業家の岩崎清七の二名を中心に八茎鉱山の石灰石を有効利用するためにセメント事業を構想。

  • 11月 磐城セメント株式会社 設立

    Episode

    広瀬と岩崎は、八茎鉱山鉱区一帯が大量の石灰石を採掘できることから、①鉱山の豊富な石灰石を活用できる、②東北地方にセメント工場が皆無である、③サンフランシスコ大地震で輸出が急増している~といった理由から同鉱山の石灰石を利用したセメント事業の将来性と有利性に確信をもった。

  • 四倉工業所を設置。日本初の「原石焼成法」を取り入れ、新技術へ挑戦。

    Episode

    磐城セメントの設立と同時に、八茎鉱山の石灰石を利用する工場の建設に着手し、四倉工業所の建設にあたった。建設にあたっては、当時の標準的な設備であった従来的な堅窯の導入ではなく最新の回転窯への導入に挑戦し四倉工場を建設した。

  • 大阪窯業株式会社(明治15年創業)セメント部が発足

    Episode

    大阪窯業は煉瓦専業メーカーとして、機械式赤煉瓦を中心に、各種煉瓦を開発・販売してきたが、セメント需要の増加を好機と捉え、セメント製造を開始した。

  • 日出セメント株式会社(青森県八戸市)を合併

    Episode

    第一次世界大戦後、全国的な不況に陥り、セメント業界の再編が行われた。磐城セメントも、業容拡大に向けた積極策を打ち出し、北海道を含め、東北地方の生産拠点として将来性があると判断し、まず日出セメント(現:八戸セメント)の合併を図った。その後、鈴木セメントの合併、七尾セメントへの投資を行い、事業を拡大した。

  • 大阪窯業セメント株式会社を設立

    Episode

    大阪窯業は、煉瓦専業メーカーとして、機械式赤煉瓦を中心に、各種煉瓦を開発・販売してきたが、時代の推移とともに、セメントの将来性を見通して、セメント事業を開始した。

  • 国内初の早強セメント製造販売開始

    Episode

    生産設備の拡充整備と並行して、製品の多様化も進められ、数々の製品が生み出された。他社に先駆けて、早強セメントの製造法を確立し、市場から好評を得た。その他にも、水滓セメントやアルミナセメント等、多様な製品を製造し、販売した。

  • 世界大恐慌

    Episode

    生産数量、販売数量ともに落ち込んだが、積極的な拡充策と全員一意の経営努力で恐慌の嵐を乗り切った。

  • 富国セメント株式会社(現:栃木工場)を合併

    Episode

    大消費地・東京に近い葛生工場の取得は、有利と判断し、貨物輸送の増大を目的に設立された、同会社の経営を引き受けた。

    Episode

    豊国・敦賀・富国・富山 各セメント会社へ出資し、業界大手を目指す。
    昭和6年(1931年)~12年(1937年)の間に、業界3大会社の地位を確立。

  • わが国最初の生コンクリート製造開始(東京業平橋)

    Episode

    生コンクリートの生産・販売を日本で初めて行う。生コンクリート(生コン)とは原料のセメントを水・砂・砂利を配合して練ったもので、当時は建設現場で練るのが一般的でしたが、品質のバラつきが大きく、良質で安全な製品を作ることが困難だった。これを工場で製造することで、構造物に適合した品質の生コンを少ない労力で安定して供給出来ることとなった。

  • 伊吹工場を新設

    Episode

    大阪窯業セメントは、セメントの需要増が見込まれる中、新工場の建設を決定した。新工場建設にあたって、①将来の巨大なセメント需要に対処出来る工場が建設可能なこと、②新工場に必要な石灰石を豊富に埋蔵する原料山と直結し、③新工場建設によって、近畿重点の販売地域を東海、関東地区へ向けて拡大出来ることであった。そして、この条件を満たす、滋賀県坂田郡伊吹村および春照村(現:米原市)に建設を行った。

  • 佐久間ダムの建設にセメント供給開始

    Episode

    当時、傾斜生産方式採用によって産業復興が始まると、電力不足が目立つようになった。
    電源開発㈱は、ダムの建設に着手し、昭和28年(1953年)に着工した、佐久間・秋葉の両ダム建設に際し、当社は全面的にダム用セメントを供給する役割を担った。
    この、佐久間・秋葉両ダムの建設には、膨大な量のセメントが使用された。ダム本体だけで合計約40万トンの中庸熱セメントを要し、他にも、約60万トンの普通セメントが必要とされた。
    実際、佐久間ダムには、約1年半で120万㎥のコンクリートが打設され、1日当たりの打設量としては当時、世界最高を記録した。当社は、この中庸熱セメントの40万トン全量と、普通セメントの約70%にあたる40万トン、合計80万トンのセメント供給し、両ダム建設に大きく貢献した。

  • 日本初の大型レポール式キルンを採用して浜松工場を新設

    Episode

    日本では、小規模なものが設置されて以外、戦前はほとんど普及しなかったレポール式キルンを採用した。浜松工場に採用した理由は、①焼成熱両を低減できる、②キルンの生産能力を増加出来る、③品質の安定に役立つなどの特徴を備えていたからである。既存のセメント焼成方式(廃熱ボイラー付乾式焼成方式と湿式焼成方式)の熱効率が極めて低かったことから、原価低減が今後の企業間競争に必須と考えていた当社は、新たな製造方式を探索していた。
    浜松工場におけるレポール方式の成功は、当社がめざましい発展を遂げ、3大セメント会社の地位を固める第一歩となった。

  • 川崎セメント株式会社を合併(現・岐阜工場)

    Episode

    川崎重工業では、川崎式余熱キルンを用いたプラント建設のノウハウを習得すべく、パイロットプラントの建設を決意し、川崎セメントを設立。川崎セメントは新会社であるため、製品に対する信用や販売機構を欠くといった問題を抱えており、同時に1社1工場体制による諸経費の割高などコスト面の限界も内在していた。そこで、川崎重工業では、工場の完成によって目的であるセメントプラントの建設のノウハウ習得は達成されたことから、大垣工場の運営を当社に任せるのが妥当であると判断した。当社としても、昭和26年(1951年)に岐阜地区への新工場建設を計画したことがあり、東海・中部地区に新鋭工場を取得出来るこの提案に同意した。

  • 高知工場 設立

    Episode

    当時高知県では、第二次産業の振興を目指して、同県内の良質で豊富な石灰石を活用するため、窯業セメントに工場誘致を呼びかけ、窯業セメントは、セメントの需要増が見込まれる中、新工場の建設の計画構想が具体化する方向に向かった。

  • 福島セメント株式会社(田村工場)および
    住友石灰工業株式会社(現山口事業所)を合併

    Episode

    福島セメントは、田村工場の操業開始後、当社の諸ルートに則って運営される予定であったが、新会社ゆえの製品への信頼不足や脆弱な販売体制、1会社1工場体制による経費の重圧や製品の遠距離輸送など難題を抱えていた。
    このため同社株主である住友系各社は、福島セメントを当社と合併させるほうが経営上有利であると判断した。また、この合併に関連して、住友石灰工業も当社が吸収合併することとなり、山口県美祢郡の石灰石鉱業権をはじめとする鉱業権を当社が継承した。

    大阪セメント株式会社に社名変更

  • 住友セメント株式会社に社名変更

    Episode

    磐城セメントは、将来三菱・三井・住友の旧財閥の競争激化によって、セメント業界が混乱する危険を考え、住友グループと提携を図ることが、会社や業界にとって良策と判断し、福島セメント、住友石灰工業の設立前後から住友グループとの関係は次第に深まり、田村工場建設では緊密な提携関係が生まれた。

    住友グループに加入することで、「住友グループの事業精神は信用を重んじることが基本である。信用を重んじるということは、別の角度からいえば常に相手の信用に応えるということ。信用を重んじる者は当然確実を旨としなければならない。」この事業精神を受け継ぐことで新たな経営体制が確立された。

  • 秋芳鉱山開発工事竣工

    Episode

    秋芳鉱山開発における最大の特色は、山元と仙崎港の三次破砕場までを長距離ベルトコンベアで結ぶ構想にあった。山間部に約16.5㎞という、長距離ベルトコンベアを走らせる構想は、セメント業界及び石灰石業界の注目を集めた。
    輸送システム導入にあたり、①石灰石の大量需要が将来にわたって見込まれたこと②秋芳鉱山が長期にわたって大規模採掘の可能な鉱床を有していたこと③同地の鉄道輸送能力が限界に達していた為、長距離輸送の採用を行った。

  • 赤穂第一工場を新設

    Episode

    主原料の石灰石を山口県の秋芳鉱山から海送する都合で、阪神地区を中心とする大消費地に近い臨海地域に建設する必要があった。このため、瀬戸内海沿岸に新候補地を物色していたが、39年春頃、兵庫県赤穂市から塩田地帯への工場誘致について要請があった。当時赤穂市は、非能率塩田の廃止推進等から、塩田の転用を迫らせていた。

  • 中央研究所を設置

    Episode

    新製品の開発を積極的に推進することを主眼に、生コンクリート研究所部内組織とし、技術部を改組し、基礎研究と応用研究の機能を強化するため中央研究所が設置された。

  • 赤穂第二工場を新設

    Episode

    既存工場の老朽化に伴う、供給不足や同業他社の臨海工場強化の動きに対応する為、新工場の建設を実施した。大型タンカーによる大量海上輸送を実現する。

  • フィリピン・フィンマ社と事業提携

    Episode

    経済のグローバル化の進展と国内セメント需要の成熟化という環境化において、海外市場への進出はセメントメーカー各社にとっても重要な課題のひとつであり、1980年代後半から著しい経済成長を見込めるアジア太平洋地域への展開を中心に各社それぞれに案件を精査し、大型の投資も実現していた。
    当社においても、平成6(1994年)住友商事と共同で、フィリピンの最大手企業グループであるフィンマ社の子会社ダバオユニオンセメントへの資本参加および業務締結に関する基本契約を締結。

  • 住友セメントと大阪セメントが合併し、
    商号を住友大阪セメント株式会社に変更

    Episode

    両社は、合併による規模の拡大、販売・物流面での相互補完、一体運営によって重複するコストと投資を省き、企業体質の強化と業務の効率化を進めることによって企業基盤を安定したものにしていることを目指した。

  • 彦根工場 閉鎖 (生産拠点の統廃合)

    Episode

    環境の激変により、より一層のコスト削減が必須の状況となり、生産構造全体も抜本的な見直しが必要になった。彦根工場は、SPキルン1基を有していたが、 ①キルン1基の内陸工場では生産規模・立地面からコスト競争力強化に限界があること、 ②当社は近隣に伊吹・岐阜工場の2工場を有しており、臨界工場からの対応を含め、供給面での代替は十分可能であることを理由に閉鎖を決定した。生産拠点を集約化することによる、全社的な効率生産を目的とし、生産構造全体の抜本的な見直しを図った。

  • 赤穂工場自家用発電設備(出力10万kW)竣工

    Episode

    工業用電力は、使用規模に応じて電力会社による割引があるが、夜間電力使用比率(昼間帯の使用電力制限)や夏季調整など、時間帯や季節による電力使用上の規制を伴う為、特にクリンカー粉砕の運転に関して制約を受けることがしばしばあった為、故障時のバックアップ等瞬発能力も必要であることから、完全自給を図ることとした。

  • 電気化学工業株式会社とセメント事業で業務提携

    Episode

    業務提携の概要は、①従来からの交換出荷の増大 ②生産の受委託 ③セメントタンカーの相互利用の拡大 ④物流拠点の相互利用の拡大 ⑤生コン工場の統廃合 ⑥特殊セメントの技術開発等である。これにより、セメント事業に関する相互の経営資源を有効活用して、それぞれの事業の発展を図っていった。

  • 高知工場自家用発電設備(出力6.1万kW)竣工

    Episode

    主力臨界工場である高知工場でのクリンカーおよびセメント生産には、他工場の故障時のバックアップ等、瞬発能力も必要であることから、赤穂工場同様に、電力の完全自給を図ることとした。火力部分では、当社で初めての循環流動層ボイラーを採用した。この種のボイラーのメリットは、使用炭種の適合範囲が広く、多品種の石炭を使用できることで、コスト上昇圧力の緩和を図ることが出来る点と、メンテナンス性に優れていることから、設備停止期間の短縮を図ることが可能である点であった。この結果、高知工場では、11年から電力自給比率を100%にすることができ、当社全体の自家発電比率は70%へと大幅に向上した。

  • 田村工場 閉鎖

  • 新規技術研究所「ナノ・テラ技術センター」竣工

    Episode

    機能性新材料事業及び光電子事業における次世代技術の展開と新商品の開発を加速させるため、新規技術研究所の新棟建設を実施。

  • 伊吹工場におけるセメント生産を中止

    Episode

    長期に及んだ日本経済の低迷と財政悪化による公共事業の縮小などを背景とした、セメントの需要減少に対応するため、生産拠点の統廃合を行い、彦根、田村、伊吹の3工場でのセメント生産を中止。セメント以外の各事業における「選択と集中」を行い、当社はコスト面、財務面からみて筋肉質な企業体質となった。

  • 高知工場電力卸供給用発電設備(出力6.1万kW)竣工

    Episode

    当社は、平成11年(1999年)に高知工場の電力自給100%を達成していたが、それと並行して、売電事業拡大に向け、四国電力のIPP発電プロジェクトに応札して、電力受給契約を締結した。これにより、発電設備の定期修理期間においても、買電の必要がなくない、全使用電力の完全自給が可能となった。

  • 創立100周年
    中国・雲南省の雲南昆鋼嘉華水泥建材に出資

    Episode

    セメント事業の海外展開の一環として、香港の有力建材会社である嘉華建材と中国におけるセメント製造事業およびスラグ粉砕事業に関して提携。嘉華グループとの合弁会社ライト・グランド・インベストメント・リミテッドに資本参加。

  • 栃木工場自家用バイオマス発電設備(出力2.5万kw)竣工

    Episode

    セメント産業の特色を活かした環境リサイクルビジネスを成長分野の一つであるとして、その取り組みをさらに強化してく方針で、バイオマス発電所の導入。

  • 赤穂工場におけるごみ焼却灰・ばいじんのセメントリサイクル事業開始

    Episode

    ごみの焼却過程で発生する燃えがらをセメントの原料化することで、リサイクル資源として有効活用がしています。この事業によって、社会的には、埋め立て処分場の延命といった環境負荷低減に繋がるものであり、循環型社会の構築に貢献出来る事業であることから、さらなる地域社会への貢献と循環型社会の構築に寄与していくことが出来ます。

  • 中国広東省に光通信用部品の製造子会社を設立

    Episode

    近年、スマートフォンやクラウド・コンピューティングの進展等により、データ通信要量が飛躍的に増加しているが、LN変調器、このような高速通信に欠かすことの出来ないキーデバイスとなっています。当社の顧客は、北米、欧州、アジアとグローバルに拡がっている為、コスト競争力を維持していくため、中国での生産を開始する。

  • 三菱マテリアル株式会社との平尾台共同事業出鉱開始

    Episode

    北九州で隣接して操業する石灰石鉱山のうち、住友大阪セメントが所有する鉱区で未着手となっている区域のうち、一定の範囲における採掘を可能とする工事を実施。当社としては、従来から行ってきた小倉鉱業との石灰石販売事業を継続して行うとともに、三菱マテリアルへ破砕輸送業務を委託することで、三菱マテリアル九州工場浅橋から自社工場(赤穂、高知)向けのセメント原料用石灰石の供給が可能となった。また、東谷鉱山と小倉鉱山の隣接部分に各々の単独採掘では取り残される石灰石資源(約3億トン)の採掘も可能となった。

  • ベトナム・フンイエン省にリチウムイオン電池正極材料の新工場竣工

    Episode

    当社はリチウムイオン電池用正極材料としてリン酸鉄リチウムの開発と量産化を進める。その優れた安全性と電池特性、品質管理体制が評価され、業務用、家庭用の蓄電装置として商品化されるなど、今後の需要拡大が確実な状況となった為、当社では、この需要に応えるべく、また、国際取引やコスト低減等を考慮し、ベトナムに新工場を建設。

  • 青森県八戸市でのバイオマス発電事業会社へ出資参画

    Episode

    バイオマス発電設備から発生する燃料の焼却灰を、グループ会社の八戸セメント㈱でセメント製造用原料として利用する資源循環システムにより、グループとしてのシナジー効果も発揮出来る。

私たちは、第2世紀を歩み始めたばかりである

トップ画面へ戻る