KeyWordで分かる住友大阪セメント

5,200㎥/日 戦後の日本復興のシンボル 佐久間ダムへのセメントの供給

1956年(昭和31年)に完成した佐久間(静岡県)ダムは最大出力35万KWの発電を可能とし、その電力を東京・名古屋方面へ送電しました。

戦後日本の経済復興の為の最大の課題は、深刻な電力不足でした。その解消のために、国家資金により大規模な水力発電開発が計画され、昭和27年7月に設立された電源開発(株)のもと、静岡県天竜川流域に佐久間ダム建設が始まりました。

佐久間ダム建設において52~53万トンと言われたセメントの調達が重要な懸案の一つでした。
このセメントの供給を担ったのが住友大阪セメント(株)の前身である磐城セメント(株)でした。

このため磐城セメント(株)は、1954年(昭和29年)に浜松工場を設立。
多量な生産に対応する為、当時最新鋭の設備である大型レポール式キルンを日本で初めて導入しました。
ダムに使うセメントは、長期強度に優れた中庸熱セメントが採用され、厳しい品質管理のもとで生産を行いました。この中庸熱セメントを日本で本格的に生産したのも、浜松工場が初めてでした。

当初は10年はかかるといわれたダムの建設は約3年程の驚異的な工期で完成しました。
佐久間ダム建設では、合計で120万㎥のコンクリートが打設され、更には当時の、一日のコンクリート打設量世界最高の5,200㎥を記録しました。

佐久間ダムの完成は、日本経済の発展と、生活の利便性を日々享受する牽引力となりました。今でもこのダムの高さ155.5mは日本一の黒部ダムの186mに匹敵するダムとして現存しています。

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